シナロアカルテルはなぜ強いのか?

http://www.adnpolitico.com/ciudadanos/2014/03/02/los-tentaculos-de-el-chapo-llegan-a-288-empresas
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 メキシコに数ある麻薬カルテルは、常に勢力を拡大したり縮小したり、あるいは消滅したりを繰り返している。そのなかでもっとも長い間、強い影響力を保ち続けてきたのが、2月に逮捕された「チャポ」ことホアキン・グスマン率いたシナロア・カルテルである。なぜシナロアはそれほど強かったのか? 226日のBBCの記事(Los secretos de la expanción del cartel de Sinaloa”, Alberto Nájar, BBC Mundo, 26/2/2014)を要約してみた。

  この記事からは他の組織との比較はできないが、シナロア・カルテルは親族関係と地縁を基盤とした、きわめてメキシコ的な社会関係で結ばれた組織だということがわかる。

 大手麻薬組織はどこも国際化し、準軍事組織化し、多角化して、あらゆるレベルの警察・司法・政治家・公務員などに賄賂をばらまいている点は、大なり小なり共通している。そのなかでもシナロアは、とくに贈賄のネットワークにかけては他の組織をしのいでいたようだ。

 

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 シナロア・カルテルは世界でも最強の麻薬密輸組織のひとつで、アメリカ治安当局によると、その取引のネットワークは世界各地の50か国以上に及んでいるという。だが組織が発展してきたのはそう昔のことではない。

 

 14年前には、メキシコにおける麻薬取引業界では、この組織はフアレス・カルテルとゴルフォ・カルテルに次ぐ3番目だった。専門家によると、今日のような国際的組織に変容した背景には多くの要因があるという。

 

 ひとつ目はアフガニスタン戦争(2001年~)である。アフガニスタンはアヘンとそれを原料に生産されるヘロインの世界的な供給国だったが、これによってヘロイン生産が減少した。これを補うために、メキシコのドゥランゴ州やシナロア州の山地での麻薬の生産と輸出が活発化したのである。

 

 また同じ時期、消費国、とくにアメリカ合衆国で合成麻薬の需要が伸びた。コロンビアのカルテルは合成麻薬の生産を拡大できなかったが、シナロア・カルテルはこれで成功をおさめ、短期間の間に市場をコントロールするようになった。

 

 メキシコの市場開放により、輸出入が急拡大したことももうひとつの要因である。カルテルは密輸品をそこにまぎれ込ませることができた。

 

さらにシナロア・カルテルが米墨国境の主要なルートを力づくで獲得するにおいて、別の2つの要因があった。さまざまなレベルの当局の保護があったこと、そして20011月に「チャポ」ことホアキン・グスマンが脱獄したことである。チャポはその後、組織拡大と強化に力を発揮することになる。

 

 

ナルコ企業家

 

シナロア・カルテル発展の秘密はこれ以外にもある。カギとなるのは、リーダーらが企業家的センスを発揮した点である。例えば、麻薬市場の変化を読み、アメリカでコカインの消費が減少し始めると、ヨーロッパやアジアに新たなルートを開拓した。同時にアメリカ人消費者には合成麻薬を供給した。

 

さらに国連の国際麻薬統制委員会など国際機関が、覚せい剤原料のエフェドリンなどの販売を規制すると、カルテルは化学分野の専門家を雇い、それに代わる新たな合成物を研究させた。また一般の多国籍企業と同様、グスマン・ロエラ率いる組織は、コカイン・ヘロイン・マリワナ・合成麻薬といった各製品の合理的な販売ルートを構築した。新市場開拓にも秀でており、世界中の国々に販売担当者を置き、適切な価格で迅速に商品を供給した。麻薬をペルーで買い付け、3週間以内にニューヨークで販売し、同時に集金も行っていたという。専門家は「チャポ・グスマンは多国籍物流企業の営業部長としてどこででも通用しただろう」という。

 

 

血の連盟

 

シナロア・カルテルがこの10年の間に成長した要因はほかにもある。そのひとつが、中米ギャング「マラス」やアメリカ合衆国の各都市のストリートギャングなど、それぞれの地域のギャング団と連携した点である。そしてもうひとつが武力である。この組織はティフアナやフアレスなどライバルカルテルを武力で駆逐し、セタスにはそのテリトリーであるタマウリパス州ヌエボ・ラレドを経由する密輸ルートを利用できるよう譲歩させた。

 

だが専門家たちが口をそろえて指摘するその発展のもっとも重要な要因は、地元当局や連邦政府の保護があったこと、そしてシナロア・カルテルを構成する各下部組織の連携の仕方にあったという。

 

実際、この組織のすべての幹部はメキシコ西部の出身である。ボスたちは親せき関係や代父母関係だったり、同じ村出身だったりする。1973年、コンドル作戦によってシナロアの麻薬栽培が根絶され、作戦本部をハリスコ州グアダラハラに移さざるを得なくならなくなったが、そののちもこれらシナロア出身者がこの組織を担ってきた。FBIはこれを「血の連盟」と呼んだが、これこそがこの組織の強みである。ほかのカルテルと異なり、各グループをつなぐものは金ではなく親族関係なのである。

 

専門家らによると、このような組織形態は非常に有効で、おかげでほかのグループによくあるような分裂や密告を避けることができたのだという。だがチャポ・グスマンの逮捕後もこのカルテルが強いきずなを保ち続けることができるかどうかはまだわからない。