2000の秘密墓地の国

2019年2月現在、メキシコの行方不明者の数は4000人を超えている。しかし、その行方不明者はどこで、どのように行方不明になっているのか、まとまった調査も統計も出ていない。まして、なぜ、という問いには答えようもない。このあいまいな状況を少しでもまとめようとし、行方不明者問題の全体像に迫ろうとしたのがこの調査だった。

各州へのアンケート調査に時間がかかったせいか、内容や数字が少し古く、更新されていない部分があるが、多岐にわたるこの問題の様々な側面が見えてきた。

 

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2000の秘密墓地の国、メキシコ

20181112

https://adondevanlosdesaparecidos.org/2018/11/12/2-mil-fosas-en-mexico/

 

アレハンドラ・ギジェン、マゴ・トレス、マルセラ・トゥラティ

編集: AN/GS

 

20062016年の間にメキシコ国内で発見された秘密墓地は約20002日に1か所と、目まぐるしいほどの速度でそれは増え続けている。6つの行政区に1か所はある計算である。

 

 1943220日、ミチョアカン州プレペチェの村アンガウアンで、突然大地が割れ、中から黒い煙が上がり、世界でもっとも新しい火山であるパリクティン山が誕生したのが目撃された。その60年あまり後、同じ村で別の恐ろしい事件が起こった。警察が地面を掘ると、手首を縛られ、半裸で、目隠しをされ、首を切られた6人の男性の遺体が発見されたのだ。200697日のことである。

 ミテョアカンの主要な都市のひとつ、ウルアパンからわずか30分、観光地でもあるその森林地帯でその年に発見されたのは、まだこれが最初のものに過ぎなかった。地元住民によると、1台の高級車が通り過ぎるのを見かけた後いて見ると、地面に埋め戻された跡があったという。

 アンガウアンは、プレペチェ語のその名前の由来により、再び有名になることになった――「大地の中から」。

 これらの遺体の発見は、恐怖の時代の始まりを示すものだった。それ以来、つまり「麻薬戦争」の時代を通して、殺人者たちは人を殺すだけでは終わらなくなった。いまや遺体を様々な方法で隠すようになったのだ。

 そうして、秘密墓地は急速に増えていった。

 

 

 1年半前からあるフリージャーナリストのグループが始めた調査は、Quinto Elemento Lab.から支援を受け、次の事実を突き止めた。メキシコ国内では20062006年の間に約2000の秘密墓地が発見され、その数は2日に1か所の割合で、6つの行政区に1か所は存在するという計算である。

 国内24の州で、少なくとも1978か所の秘密墓地が存在する。この数字は、メキシコ政府が今日までに発表したものを大きく上回っている。

 検察は、これらの秘密墓地から、2884体の遺体のほか、324の頭蓋骨、217の骨格、799の骨、そして何人分に相当するかも不明な何千もの骨片を発掘している。

 全国32州それぞれの担当局に200の情報公開請求を行って得た情報によれば、これらのすべての遺体や遺骨のうち、これまでに身元が判明した犠牲者は、わずか1738人に過ぎない。この地図は、部分的にしろ、この恐るべき事態の分布を示すものである。

 

 2006年に発見された秘密墓地がわずか2か所だけだったものが、その後は何百にも増えたことを考えると、状況は大災害といえるレベルまできている。

 2007年には、地面に埋められていた遺体は5つの州で10体にのぼった。2010年には14の州で105か所の秘密墓地が発見され、その数は2011年には375か所に跳ね上がった。平均して11か所の割合である。

 2012年以来、秘密墓地の発見は年間245か所を下回ることはなかった。

 遺体の違法埋葬は、カルデロンとペニャ・ニエト両政権の時代のトレードマークとまでいえるものとなった。国内の行政区7つのうち1つで、犯罪者たちが犠牲者を埋めるために地面を掘り、ときには焼いたりもしているのだ。

 全国で少なくとも372の行政区に、このような方法で犠牲者を行方不明にする者たちがいたということだ。

地図は、こちら↓

https://data.adondevanlosdesaparecidos.org/

 

 犯罪と暴力を専門とするCIDEの研究員サンドラ・レイは、この調査結果を見て、「この調査によって、組織犯罪が殺人を犯し、犠牲者を隠すために秘密墓地を作るだけの影響力を持っている行政区がどこにあるか知ることができる。新しいかたちの犯罪のやり口と、人々が恐れから訴え出ようとしない当局のあり方がわかる。秘密墓地のあるこの15%の行政区にどれだけの人々が暮らし、組織犯罪に支配された行政のあり方が多少でも分かれば興味深いだろう」と述べた。

 11年間に約2000の秘密墓地が発見されたというこの未確定の数値は、われわれが実施した情報公開請求に対する24の州の検察からもたらされた返答に基づくものである。このデータはこれまでに当局によって発表されたどの数値をも上回るものであるが、これもまだ十分とは言えない。

 バハ・カリフォルニア、チアパス、メキシコシティ、グアナフアト、イダルゴ、プエブラ、ケレタロ、ユカタンの8つの州が、この11年間に秘密墓地発見されていないと返答したため、この分布図に入っていない。

 しかしこのなかで、州検察も司法警察も人権委員会もマスコミも、誰も今日まで秘密墓地の存在を報告していないのはユカタン州だけである。

 

秘密墓地の拡大

 それは悪疫のように各地に広がっていった。

 2010年、タスコの街の郊外にある「ドローレス」という廃坑の管理人、フアン・ビベロスとナボル・バエナの2人が夜間にトラックの通る音をたびたび耳にし、煙突から煙が立ち上るかのように立て坑の中から強烈な腐敗臭が上がっているのに気が付いた。 

 そして、以前は封印されていた坑道の入り口が壊され、穴が開けられていたことがわかった。

 「われわれがそこに行くと、ぐっしょり濡れてしまった。ひどい血だまりがあったんだ。俺はナボルに言った。『おい、これは何の血だ?』で、奴はこう言った。『知るもんか。動物の死骸でもだれか持ってきたのか?』なんにしても、ひどい臭いだった。そうして俺たちは仕事に行った」と、フアン・ビベロスは語った。

「それから誰かが臭いがひどいと訴え出て、警察が来て中を見ると、穴が開いていて、そこに投げ入れられていたのは人だったんだ」と、ナボル・バエナ。

「おれたちは何が入っていたか見てぞっとした。出てきたのは死体だったんだ。中に死体が山積みになっていた。その立て坑はとんでもないことになっていたんだ」と、フアン・ビベロス。

 2人は元鉱夫で、鉱山会社が操業を停止して以来、管理人になっていたのだが、ふだん銀鉱石を運ぶ手押し車に死体を外で載せ、運び込んでいたとニュースで知った。以上は2010年のインタビューでの話である。

55体の死体が発見された」と当時の新聞は報じた。司法警察の記録では41体、地元検察の記録では64体となっていた。しかし、発見された遺体が行方不明の家族のものかもしれないと遺体安置所に駆け付けた家族らによると、120体以上あったと証言している。

 この調査によれば、この同じ2010年に、一か所から発見された遺体の数が過去最大になり、また遺体の発見数が2ケタから3ケタに増えた。しかしこれは地獄譚の序章に過ぎなかった。

 

 それ以来、この種の発見はますます頻繁になってくる。この調査によって得られた公的な記録を整理したところ、次のことが判明した。

 この11年間でメキシコ国内でもっとも多くの死者が見つかったのはベラクルス行政区で、125の穴から頭がい骨の数にして290(当時)が見つかっている。正確にはサンタフェの丘という場所で、そこでは22079個の骨片が発見され、当局は何体の遺体に該当するのかまだ発表していない。そこではまだ発掘作業が継続している(実際は20189月に終了した)

もうひとつの大量の遺体が発見された場所が、テキサス国境から1時間半の場所にあるタマウリパス州サン・フェルナンドである。そこでは2年間のうちに139の穴から190の遺体と骨片が発掘された。

 2008年以来、シウダー・フアレスは毎年このおぞましい調査のなかに名を連ねている。秘密墓地の合計は58か所で、ここには隣接する行政区のものは含まれていない。一方、アカプルコでは、2010年以来、リストから外れた年はない。この港湾都市では2006~2016年の間に合計108の秘密墓地が発見されている。

 1年間にもっとも多くの遺体が発掘された行政区はドゥランゴで、2011年の350体である。ドゥランゴ州では7年間に460体の遺体が発見されており、これは発見された遺体の数としては最大である。

 ヌエボ・レオン州は、発見された骨片が何人分に当たるかを報告した唯一の州で、そのため最大の数字を示している。記録による、475体分の遺骨と119体の遺体を回収したとしており、つまり594人の犠牲者が秘密墓地に埋められていたということである。

 一方ベラクルス州は、222体の遺体と293の頭がい骨、157体分の遺骨が発掘されており、合計すると672体となる。

 調査期間の間に発掘された秘密墓地の数で上位を占めるのは、次の通り。タマウリパス(280か所)、チワワ(194か所)、シナロア(139か所)、サカテカス(139か所)、ハリスコ(137か所)、ヌエボ・レオン(114か所)、ソノラ(86か所)、ミチョアカン(76か所)、サン・ルイス・ポトシ(65か所)

 モレロス州だけはその21か所の秘密墓地が発見された日付を公表しなかった。またリストのなかにテテルシンゴの秘密墓地をリストに含めていない。これは検察自身がつくったもので、共同墓地に送るべきだった遺体を秘密裏に埋めていたのである。これは2016年、犠牲者の家族がその存在を突き止めた。

 秘密墓地からもっとも多くの遺体がもっとも多く発見された州は、次の通り。ドゥランゴ(497)、チワワ(391)、タマウリパス(336)、ゲレロ(325)、ベラクルス(222)、ハリスコ(214)、シナロア(176)、ミチョアカン(132)、ヌエボ・レオン(119)、ソノラ(96)、サカテカス(81)

 

家のにまで

 秘密墓地のある場所として想像されるのは、人里離れたさびしい場所というイメージがある。この調査の結果、必ずしもそうではないことが明らかになった。人口の多い地区でも交通量の多い大通り沿いでも、遺体は埋められている。

 2011年春、ある専門職の夫婦は夜中に物音で目が覚めた。彼らの暮らす小さな一軒家は、ドゥランゴ市の中心街にあるプロビデンシャル地区にあり、かつて空き家で管理人が管理していた。兵士たちが玄関の鉄格子の鎖を切断しようとしているのを見て、夫婦は驚いた。

 夫婦が兵士らにたずねると、彼らは中庭を掘り返すために中に入りたいと求められた。最初に掘られたからはなにも見つからなかった。兵士らは奥まで行き、土地の境界の塀のあたりを掘って何か見つけた。遺体だった。木造の小屋のセメントの床下からも、さらに数体が見つかった。

 それ以来、黒い鉄格子の門は、錆びた鎖で閉鎖されたままになっている。中庭に積み上げられた土には雑草が伸び放題になっている。そこから兵士らは12体の遺体を掘り出したのだった。そう、12体。

 2011年にドゥランゴ州の州都で発見された350体の大部分は、市街地に埋められていた。まさに中心街に埋められていたものもあり、ほかにも民家、自動車修理工場、工場、工事現場、空き地、大通り沿い、さらには高等学校の隣接地にも埋められていた。

 ドゥランゴ市で起きたことは、けっして例外ではない。

 24州のうち18州では、州都に秘密墓地があったとしている。それらは、アグアスカリエンテス、バハ・カリフォルニア・スル、コアウイラ、コリマ、チワワ、ドゥランゴ、ゲレロ、ハリスコ、モレロス、ナヤリ、ヌエボ・レオン、サン・ルイス・ポトシ、シナロア、ソノラ、タマウリパス、トラスカラ、キンタナ・ロー、サカテカス。

タマウリパス州シウダー・モンテスの隠れ家で見つかった衣類。2017年1月、民間団体が発見した。

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数字のダンス

 ブルーシートの上に、土中から発見された衣類が並べられている。タイツのようなもの、Tシャツ、黒いビニール袋、形のわからない布片、さらには赤ん坊の服まで。土中に長く埋められていたいために、いずれも同じ泥の色に染まっている。

 ベラクルス州が公表したこの写真は、201897日、新聞各紙が報じたニュースに添えられていたものである。ベラクルス州中部で、32の秘密墓地から174の頭がい骨が発見されたのだ。

 「ベラクルス州の秘密墓地では赤ん坊の衣類も。家族らはよだれかけや産着まで確認した」「赤ん坊用のズボン、帽子、スエット…ベラクルスの大規模秘密墓地から赤ん坊の衣類が発見される」。マスコミ各社が犯人らの残虐さを強調して報道した。

 この発見ののち、発表される数字は乱高下することになる。(201812月からの)次期連邦政権の内務省のチームは、前政権が公表していた数字とはまったく異なる数字を発表したのである。内務省は秘密墓地の数を855と発表していたが、全国行方不明者捜索委員会によると1150である。

 同じ日、全国人権委員会(CNDH)は最新の記録を更新し、20185月までに1,306か所の秘密墓地が発見されており、3,926体の遺体と36,000の骨片が発見されたと発表した。

 われわれの調査では、政府が発表した数値の最大のものの倍の数になる。20071~201612月の期間、CNDHは855か所としたが、われわれの調査では1,976か所である。

 これはほかより大きい数字だが、まだ完全なものではない。なぜか?

 国内すべての州がみな秘密墓地の存在を認めているわけではないかである。7つの州政府は、遺体を埋めた秘密墓地のようなものは存在しないと報告した。だがCNDHや司法警察、マスコミはその逆のことを示している。

 バハ・カリフォルニア州では、犯罪者らが犠牲者を行方不明にするための、秘密墓地や遺体を酸で溶かしたり焼却したりするような場所は記録されていないと返答した。だが実際には、2009年、ティフアナで、軍が「ポソレロ」ことサンティアゴ・メサ・ロペスを逮捕したとマスコミで報道されている。この男は、ティフアナ・カルテルの敵とみなされた犠牲者らの遺体を酸に漬けて溶かしていたのである。

 メサは、少なくとも300体の遺体を溶かしたと供述した。市の郊外の「オホアグア」という村にある農場での現場検証でそう述べたのである。悪夢のようなその日以来、家族らは当局に同行され、行方不明になった人たちの痕跡を求めてその地区で捜索を行っている。歯や骨のかけらが見つかるたびに、司法警察は分析のために持ち帰っている。つまり、同州には秘密墓地が存在するのである。

 

 メキシコシティ、ケレタロ、イダルゴ、チアパスもまた、情報公開請求に対して秘密墓地はまったくないと回答している。しかしそれに対して、司法警察やCNDHは、これらのなかで合計10か所の秘密墓地があることを報告している。CNDHがモニターしているマスコミ報道では計17か所である。グアナフアトとプエブラの場合には、いずれも秘密墓地はないとしているが、マスコミはその正反対の報道をしている。

 本調査の分布図では、司法警察のデータに州検察のものを混ぜてはいない。州検察は実際に見つかったものより少ない数字を発表しているのである。

 その一例が、ミチョアカン州政府である。同州は、2006年には秘密墓地は2つ発見されただけだったと報告した。アンガウンでの6人の男性の斬首遺体のケースとアギリージャの秘密墓地1つだけである。だが司法警察は、ラサロ・カルデナス市で手足を縛られた3人の男性が埋められていた事件を発表している。さらにマスコミは、州政府の記録に含まれていない秘密墓地がさらに2つあることを報道している。州都モレリアにひとつと、さらにブエナビスタ・トマトランにももうひとつが同じ年の大みそかの日に発見されたのだ

 司法警察によって発掘された秘密墓地では、掘り出された遺体はメキシコシティの連邦警察に送られる。そのため州の記録に入らないのだ。

 このことが、秘密墓地の数を過小に記録する原因となっている。2013年、ハリスコ州バルカで、37の秘密墓地から75体の遺体が見つかった。ゲレロ州イグアラでは市周辺の山地から54体の遺体が175の秘密墓地から発掘されている。これは、2014年に起きたアヨツィナパの43人学生行方不明事件以来、地元民らが「そのほかの行方不明者たち」という組織を立ち上げ、発見したものである。

 本調査と地図は、得られた情報を分類しているが、地方検察と司法警察からもたらされた情報を、異なる方法で分類している。

 

 この地図には白地の地域がいくつかある。まるでそこには秘密墓地がまったくないかのように見える。おそらく地理的にも犯罪組織にとってもアクセスが困難な場所であるためかもしれない。

「秘密墓地が作られるときとそれが発見されるときの間に時間的なラグがあり、それが暴力の時間的・空間的な力学について語っている。秘密墓地が発見されるときにはすでにその地域での暴力が下火になっており、ピークの時期には発見することは難しい」と、メキシコの行方不明者の歴史の専門家であるメキシコ自治大学の歴史学者カミロ・ビセンテ・オバジェは語る。

 ビセンテ・オバジェは地図を見て、ゲレロ州の山地のような地域では、犯罪者たちが殺害死体を隠しているがまだ見つかっていない秘密墓地がもっとあるはずだと述べた。

 

死者の場所

 2015年、マリア・デラ・ルス・ロペス・カストゥルタは、コアウイラ州のパトロシニオ村で秘密墓地のひとつを見つけた。彼女は2008年から娘のクラリベル・ラマス・ロペスを探していた。行方不明者家族が皆そうしているように、彼女も自力で捜査を始めた。そして、そこに連れて行かれた人は二度と戻らなかったという噂のある土地に入り込む方法を考え付いた。

 マリア・デラ・ルス・ロペスは、帽子とバンダナを着け、棒を手に、水の入ったボトルを背負い、農婦を装って行き始めた。するとすぐに羊飼いらが探す手助けをしてくれるようになった。そこにはドラム缶や灰があり、骨の破片が埋められており、地面には靴や衣類が散らばっていた。

 ある羊飼いによると、連行されてきた人を燃やすドラム缶が80から90はあったと言った。ルス・ロペスの兄弟が来た時には14しかなかった。

「じゃあ、何百人も殺されていたの?」と彼女は羊飼いにたずねた。

「いや、何千人だよ。毎日、こんなふうに後ろ手に縛られた人たちを載せたトラックが来ていた。動物のようにじゅづつなぎにされて。真っ昼間、陽が高い時間にだよ」と男は教えてくれた。

「それでドラム缶は?」

「持って行って売ってしまったよ。でもまだ2つ残っている」そう言って、ドラム缶がある場所に連れて行ってくれた。

 

 パトロシニオは、コアウイラで犯罪集団が利用していた複数の虐殺現場のひとつにすぎない。ロペスもそのメンバーのひとりである行方不明者捜索グループ「グルーポ・ビダ」は、ツルハシのようなもので穴を開けたドラム缶のある場所を複数見つけている。そこに犠牲者を入れ、ディーゼルオイルやガソリンをかけて焼却していたのだ。炎をコントロールするために、周りをトレーラーのタイヤで囲っていた。そして焼いた遺体を穴に入れて埋めていたのだ。

 ルス・ロペスは皆からルーシーと呼ばれていたが、「行方不明者捜索の国際キャラバン」を実現するために組織を立ち上げ、20175月にコアウイラ州の現地でほかの家族らとともに捜索を開始した。

 メキシコでは、暴力がまだ下火になっていないときから捜索が行われてきた。「戦争」のさなかでは、人々の遺体が隠される場所の多くはまだマフィアらによって支配されている。そういった場所はまだ犯行現場であり、ときには大量殺人の現場なのである。

 秘密墓地の発見の多くは、被害者家族らの困難な捜査の末に可能になったものである。しかしそのような苦労はほとんど報われることがない。ルーシーは大きな苛立ちを感じるという。彼女らの捜索グループは次々に、多数の秘密墓地を発見してきた。だが政府は、そこで見つかった遺体の身元確認の作業をほとんどしていないのだ。連邦警察の科学捜査課が遺体の分析を行い、何か判明すれば遺族に連絡する責任を負うことになっている。 

 ルーシーの娘のクラリベルの遺体は、約2000の秘密墓地から掘り出され、検察が身元確認を行った1738人の犠牲者のなかにはなかった。

 捜索を始めて数年がたち、ルーシーは失望して次のように述べた。「何のために私たちは無駄に秘密墓地を、死者たちを探してるの? 結局、見つけても身元が分からないままなのだから。私たちには時間がないのだから、生きている人を探したほうがいいと決めたのよ」

 遺体の身元確認作業は、発掘作業の際に手違いがあるとさらに困難になる。2011年、ドゥランゴ州でのケースでは、ショベルカーを使って発掘を行ったために遺体を損傷してしまったことがあった。

 また、遺体が灰になるまで焼却されたり、酸やアルカリで溶解されたりしたときも難しくなる。ベラクルス州では、6つの秘密墓地から少なくとも18680もの骨片が見つかっているが、身元が確認されたのは2人だけだと、本調査に対する回答があった。例えばコアウイラ州は、秘密墓地は87か所発見され、12717の「生物学的サンプル」が回収されたと報告しているが、そこで身元確認されたのは19人に過ぎない。検察が秘密墓地の場所の公開を拒否したので、地図の上では数が少なくなっている。

 ほかの州では、検察自身が自分たちが保管していた遺体を行方不明にしてしまったケースもあるようだ。ソノラ州では、2016年にノガレスで発見された遺体に関する情報を請求したところ、「身元が確認されたかどうか不明である」と返答があった。2008年にナコ行政区で発掘された2体については、「医師の退職により情報がない」と述べた。そのほかのケースについても、「火葬されたのか、あるいはどこかに保管されているのかもわからない」との返答だった。

「そうやって身元が判明されないなら、何のために遺体を掘り出すのか?」と4人の兄弟が行方不明になっているフアン・カルロス・トゥルヒージョ・エレラは自問する。兄弟のうち2人はゲレロ州で、もう2人はミチョアカン州で拘束された。以来、捜索隊の全国組織を率いている。

「当局には捜査能力がないのだ。それが問題だ」

 

 この調査は、秘密墓地と発見された遺体について、その場所と数を明確にしようとするものだが、同時に抗争が起きている現場がどこかや、地域による行方不明にする手段やそのパターンの変化についても手がかりを与えている。

 地図を作成するために入手した情報によって、秘密墓地が集中している地域を知ることができる。その中でもとくの目立つのが5つの地域で、犯罪者グループ間で、ときには当局との間で、常に抗争が繰り返されており、それらはすべて港やアメリカ国境に接する地域である。秘密墓地が集中している5つの場所は、シウダー・フアレス、そして沿岸の街道であるシナロア州アオメ。タマウリパス州サン・フェルナンド。そして港であるアカプルコとベラクルス。

 

 また、北西部とメキシコ湾北部では、犠牲者の遺体を焼却するということが広く実践されていることも見て取ることができる。遺体は破片しか残らない。これはベラクルスやコアウイラ、タマウリパス、ヌエボ・レオンの各州でみられる。

 そのような現場では、行方不明者家族や当局によって、土中から何千もの骨片が次々に発見されている。しかしこの場合、身元確認は非常に困難である。

 この秘密墓地の地図を見るためのひとつの見方として、『権力と失踪』の著者であるアルゼンチン人の政治学博士、ピラール・カルベイロは次のように提案する。殺害し、遺体を路上に放置するのが処罰として十分なものでなくなったのがいつからか、行方不明にするために遺体を埋めるようになったのはいつからか、さらに殺人者たちが埋めるのをやめて溶解するようになったのはいつからか、を見るのである。

「行方不明にするために用いられる技術は、犯人らについて、そしてそれを支える当局について多くのことを語っている」と指摘する。

 

バベルの塔、検視庁

 この調査がさらに困難だったのは、当局の情報がバラバラで、しばしば矛盾しており、また改変されていたりすることだった。各州の検察の間で、遺体、頭蓋骨、遺骨、骨片、秘密墓地といった項目の分類の仕方も統一もない。

 ここに挙げた数字を出すためには、それぞれの検察庁が発見現場ごとに使っている様々な用語を読み解かなければならなかった。

 ベラクルス州の検察では、焼却された骨片が投棄された井戸はひとつの秘密墓地と数えている。また同時に「遺体損傷現場」とも呼んでいる。コアウイラ州では、遺体を焼くために使われたドラム缶が見つかった場所を「秘密埋葬現場」と呼んでいる。

 秘密墓地の数の公開請求に対して、タマウリパス州は、焼けた骨片が残っていた金属製容器の数も入れていた。ヌエボ・レオン州の検察は、遺体が焼却された19か所のことを「コシナ(台所)」と呼んでいた。これは犯罪組織がスラングとして使っている言葉である。

 アグアスカリエンテス州では、秘密墓地という言葉の意味がわからない、と返答した。

 人権侵害に関する専門家でコレヒオ・デ・メヒコの研究員兼イベロアメリカ大学教員であるハコボ・ダヤンは、このような調査は国家の欠陥を補うものだという。

「この国には秘密墓地に関する公的な情報が存在しない。遺体の保管場所も明確でない。大学の医学部に献体されたのか、冷凍トレーラーに積まれ右往左往しているのか、科学捜査課の内部で行方不明になっているのか、誰にもわからない。捜索や発掘、身元確認を促進するためには、行方不明者に関する登録を行うと同時に、発見された骨片、遺体、秘密墓地に関する正確な記録の作成が急務だ」と述べる。

 

 在メキシコのアルゼンチン法人類学者チーム(EAAF)代表、メルセデス・ドレッティは、発見された秘密墓地や遺体を記録するための統一した規約を作成する必要があることがこの調査から見て取れると述べた。

「秘密墓地、遺骨、遺体、遺体の一部などというとき、なにを意味しているのか、それぞれの州検察は説明する必要がある。身元が確認されたが家族が見つからない人物をどう呼ぶのか? 身元不明者か引き取り人なしか? どの分野に計上するのか? 「コシナ」と呼ぶものはをどう分類するのか? また土中に埋められていたり、川やダムに遺棄されていたり、戸外に放置されていたり、スーツケースの中に入れられていたりする遺体はどう呼ぶのか? そのような定義がないかぎり統計を取ることは非常に難しい。それは解決しなければならない」

 バラバラで、不完全で、矛盾していたり断片的になっていたりする州と連邦政府の記録のために、愛する家族の行方を探す家族は不安を抱えて生きることになる。当局の怠慢と手抜きのせいで、行方不明になった人が再び行方不明になってしまうのだ。

 

 エルサルバドル人のベルティラ・パラダは、ある秘密墓地から発見された息子カルロス・アルベルト・オソリオ・パラダの遺体を、メキシコの官僚機構の迷路から救い出さなければならなかった。愛する家族の遺体を取り戻し、きちんと埋葬を行い、身内のもとに返すために必要な規約が存在しないために、彼の遺体は行方不明になっていたのだ。

 青年は北米に移民を試みていたが、20113月、サン・フェルナンドの地元警察と共謀したロス・セタスによって殺害された。同年4月、遺体の発掘が始まったとき、エル・アレナルという脇道の第3号秘密墓地から、彼の遺体は3番目に掘り出された。同じ穴からほかに12体が発見された。結局、40余りの秘密墓地から合計189体の遺体が発見された。

 カルロス・アルベルト・オソリオの遺体は417日、マタモロスの遺体安置所に移送され、そこで翌日、検死が行われた。ほかの122体の遺体は別のところに運ばれ、メキシコシティの司法警察に移送された。

 カルロス・アルベルトの遺体はほかの67体とともに、身元不明死体として埋葬された。彼が埋葬されたのは、タマウリパス州の州都シウダー・ビクトリアのクルス共同墓地の第16314番目11列だった。

 家族が秘密墓地が発見されたことを知ったとき、カルロス・アルベルトが消息を絶っていたことから、司法警察に発見された遺体の遺伝子と照合してもらうためにDNA分析を行った。しかし、司法警察は最初、メキシコシティに移送した遺体としか照合を行わなかった。そのために、カルロス・アルベルトはタマウリパスの共同墓地で310か月もの間埋められたままになっており、当局によって火葬される寸前だった。

「ここに息子は埋められていた。なぜそんなに時間がかかったのか? この丘の墓地だ」と母親のベルティラ・パラダは2016年にインタビューした際にそう語った。ベルティラはエルサルバドルのスナック、ププサを売って生計を立てている。2015128日に彼女が受け取った書類には、頭部を打ち砕かれた息子の写真と、サビの浮いた十字架のもと、「秘密墓地3番遺体3号」と呼ばれて眠っていた墓地の写真が入っていた。

 彼女は何度も自国の政府に申し立てを行わなければならなかった。そしてついに「正義のための基金」というメキシコの組織と司法人類学のグループ(EAAF)に出会い、彼らが身元不明のまま放置されていた息子を見つけ出し、家族のもとに取り戻す手助けをしてくれた。

 息子の遺体を取り戻し、ベルティラは、行方不明の息子がどこにいるのかと探し求める苦しみから解放され、少しほっとしたと述べた。

「辛いけれど、同時になにかやり遂げたという気持ちもある。多くの人がまだ家族を見つけられず、子どもたちがどこにいるかわからないでいる。埋葬場所がわかったときには、少し気が休まる思いがした」 

 メキシコでは、200612月~201810月までの間に、公的な記録によると37485人の行方不明者が報告されている。そのうちのそれだけの数が秘密墓地に埋められているかは不明である。

息子カルロスの写真を見せるベルティラ。

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 この記事の情報のために、以下の人々の協力を得た。フアン・ソリス、ヒルベルト・ラストラ、アランサス・アヤラ、パロマ・ロブレス、マイラ・トレス、エリカ・ロサノ。

この記事は、メキシコにおける行方不明者問題に関する調査サイトである

Adondevanlosdesaparecidos.orgのプロジェクトの一環で、Quinto Elemento Lab.より編集及び資金面で援助を得た。