ホンジュラス:麻薬密輸マフィアが支配する国     ――大統領の弟、米で逮捕され判明した事実

 ホンジュラスの大統領の弟がアメリカで裁判にかけられ、メキシコのシナロア・カルテルから多額の賄賂を受け取り、軍や警察を動員してメキシコマフィアのために働いていたことが明らかになった。

 まさに、政府を挙げての麻薬犯罪である。

 その間、警察も公務員も国民のために働くことを忘れ、ギャングの思うままにされた市民は、国を捨てて、キャラバンを組んでアメリカを目指すしかなくなった。しかしそのほとんどは、アメリカの地を踏むこともできず、途中のメキシコから追い返されたのだが。

 

 大統領のごく身近な人物が、麻薬密輸の大元締めだった、などというトンデモ話は、中米のことだけではない。じつはメキシコも、まったく同じ状況なのだ。麻薬戦争を始めた当人であるカルデロン元大統領の公安当局トップが、麻薬組織から高額の賄賂を受け取っていた。メキシコでの状況は別に書くとして、破格な額にのぼる麻薬資金がいかに国家機構すら狂わせ、そこで暮らす人々の未来までも破壊してしまうか、ちょっと長いが読んでみてもらいたい。

 

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Tiempo de crímenes: Un juicio sobre el control narco en Honduras

 

Texto: Danielle Mackey Jennifer Avila

 

https://contracorriente.red/2019/10/14/tiempo-de-crimenes-un-juicio-sobre-el-control-narco-en-honduras/

 

 ホンジュラスの大統領フアン・オルランド・エルナンデスの弟で与党国民党元国会議員、トニーことアントニオ・エルナンデスに対する裁判が米連邦裁判所で行われ、この国で政治が組織犯罪といかに結びついているかが明らかになった。

 エルナンデス元議員は、アメリカ合衆国に麻薬を大量に密輸したとして告訴され、ニューヨーク南区裁判所で裁判が行われている。そこには海外メディアだけでなく、本国での暴力と汚職から逃れてきた多くのホンジュラス人移民も詰めかけ、裁判の行方を見つめた。ホンジュラスでも、ニューヨークでの裁判の行方を人々は固唾をのんで見守った。

 

 

犯罪

 ニューヨーク南区の連邦裁判所法廷で提示された資料によると、2004年以来、トニー・エルナンデスは、何トンものコカインの生産と密輸に関与していた。飛行機、高速船、さらに少なくとも1度は潜水艦も利用していた。ホンジュラスとコロンビアにあるコカインの精製工場にも関りを持っていた。麻薬密輸マフィアらのために重装備の部隊を送り込むこともあり、しばしばそれらはホンジュラス警察によって警護されていた。

 同じ2004年、トニーの違法な商売が拡大し始めていたとされる時期、ホンジュラスの大統領は国民党のリカルド・マドゥロだった。当時は犯罪に対して強硬策がとられていた。マドゥロ政権下で刑法が改正され、これによって「反マラス法」と呼ばれる法律が制定され、この時期に何千人もの貧困地区の若者たちが刑務所に入れられることになった。

 トニーは当時目立った人物ではなく、そのためこの頃はマークされることもなく、麻薬密輸のためにホンジュラスの治安当局に賄賂を贈ることができたと裁判記録は記している。しかし数年のち、裏社会でますます重要人物になってくると、麻薬密輸マフィアからも多額の賄賂を受け取るようになった。そのひとりがメキシコのシナロア・カルテルのリーダー、チャポ・グスマンで、100万ドルを受け取ったとされる。これは当時、国民党の幹部として大統領の座を目指していた兄のフアン・オルランドの大統領選挙のキャンペーンのために個人的に渡されたものと推測される。

 トニー・エルナンデスと兄のフアン・オルランドはすべての起訴事項を否定した。現大統領は、裁判所で言われていることは、自分の政権下でアメリカ政府と協力して行った対麻薬組織戦争で痛めつけられた犯罪者たちが、仕返しにやっていることだと反論した。

 

 しかしアメリカ政府の別部門、すなわち連邦裁判所法廷は、このエリート犯罪グループとされる人物らがその権力を確立するための重要なきっかけとなったのが、ホンジュラスの国家クーデターのあった2009年だったと指摘している。クーデターで失脚させられたマヌエル・セラヤ・ロサレス元大統領は、その時期に弱体化し分裂したホンジュラス政府に、麻薬密輸マフィアが入り込んだのだと指摘した。

 その時期から国家上層部に、のちにアメリカへの麻薬密輸と武器密輸、そこから得た資金のマネーロンダリングの疑いで捜査されることになる一群の人物らが現れてくる。フアン・オルランド・エルナンデスとイルダ・エルナンデス、現大統領秘書官のエバル・ディアス、ホンジュラスのエリート企業家であるロセンタール家の多くのメンバー、そして軍人で現国防大臣であるフリアン・パチェコ・ティノコ。連邦裁判所の資料によると、2013年から始まったこれらの人物らの捜査は現在も進行中で、いま行われている裁判にも関連している。そのなかには、ニューヨーク裁判所で行われたロセンタール家に対する裁判、カチロ・カルテルとバジェ・バジェ・カルテルに対する裁判、そしてクーデター後にホンジュラス大統領となったポルフィリオ・ロボ・ソサの息子、ファビオ・ロボに対する麻薬密輸疑惑の裁判もあった。

 

 ここ数日の間に、この連邦裁判所から驚くべき事実が出てきた。

 記録によると、20099月頃、トニーとバジェ・バジェ・カルテルは、トニーらが運営するコロンビアの精製所で製造したコカインをメキシコのカルテルに売ろうとしていた。それはアメリカに密輸する予定のものだった。しかし途中のグアテマラとメキシコの国境近くで、輸送担当の男はグアテマラ人武装グループに襲撃された。現在、連邦裁判所の保護証人でCW-2と呼ばれているその男は、事件の1週間後、トニーとバジェの代表者と会ったという。トニーは彼に、奪われてしまった分を支払うのに1か月の猶予を与えるといった。さらに、彼が自分で、強奪したのが誰なのか調べるといった。彼が行った調査によって、グアテマラ人警察官1人を含む8人の人物がかかわっていることがわかった。この証人は、密輸品の代金の返済をさせられただけでなく、刺客を雇い、犯人らを殺害させるのに30万ドルを支払った。

 

 同じ国民党の党員でコパン県でかつて市長を務めたアレハンデル・アルドンの証言によると、これはトニーがかかわった計画殺人の少なくとも3つのうちのひとつに過ぎない。  

 アルドンによると、2011年、トニーは当時のコパン県の警察長官だった「ティグレ()」ことフアン・カルロス・ボニージャを呼び、グアテマラ人のフランクリン・アリタ・マタを殺害するよう命じ、ティグレはこれを遂行した。

 さらに供述によると、2013年にホンジュラス警察がカチロス・カルテルの警備員として働いていた「チノ」と呼ばれる男を逮捕したとき、大統領の弟は「殺さなくてはならない。自分のヘリコプターについてすべてを知っている唯一のやつだから」と言ったという。この殺人も実行された。

 

 アルドンの供述によると、ヘリコプターに関する情報はとりわけ重要だったという。なぜならそれはトニーにとって自衛のための戦略だったからだ。2012年、トニーはアルドンに、自分は下院議員に立候補する、そして兄のフアン・オルランドは大統領を目指すと言った。さらに、この時からアメリカに身柄引き渡しされないために、2つの仕事以外、麻薬密輸にかかわるすべての仕事から手を引く、と伝えた。その2つとは、密輸品を移送するために自分のヘリコプターをレンタルすることと、密輸のための警備部隊を派遣することだった。ヘリのレンタルにはパイロットも含まれ、またトニーはホンジュラス政府のナルコ対策のレーダー網にアクセスできたので、途中で捕らえられることのないように警護されると保障していた。アルドンによると、1回の飛行当たりのコストは5万ドルだったという。

 

 2012年、当時の大統領ポルフィリオ・ロボ・ソサは、チャポ・グスマンの要求で、グアテマラの麻薬密輸マフィアから国境を守るために、軍用トラック2台分の兵士を派遣したことがあった。アルドンによると、チャポはグアテマラ・マフィアに国境の支配権が奪われるのを恐れていたが、約120人のホンジュラス兵が2か月にわたって滞在し、これによって国境は守られた。

 

 ホンジュラス記録センター(CEDOH)の安全保障に関する専門家レティシア・サロモンによると、軍隊を麻薬密輸撲滅のために導入することは、これまでも有害だったし今後も同様であるという。メキシコでは軍高官が麻薬密輸にかかわっているとされ、軍のイメージが悪化したが、それがよい例である。

「国内の領土をコントロールする軍は、領土内で起きていることを知っていなければならない。どこに秘密滑走路があるか、飛行機が誰の所有するものか、そして誰が飛行機の着陸や離陸に指示を出しているか。(軍の腐敗の)構造は近いうちに、明らかになるかもしれない。麻薬密輸へのかかわり方もいろいろあるが、共犯者やボスである軍高官らの名前が出ることを期待している」とサロモンは語った。「軍隊は一枚岩ではない。現大統領が誘導したことで道を誤った一部の人々がいるということだ」

 しかしこれまでのところ、軍隊内部の不正にかかわっているとおぼしき人々は沈黙を守っている。同様にエルナンデス大統領兄弟をはじめ、国家指導者らの振る舞いはあまりに恥知らずなものであったが、これまで何年もの間、表に出ることがなかった。

 

逮捕

 ホンジュラス軍が麻薬密輸マフィアとのたたかいのために動員されるようになった翌年の2013年、アルドンの証言によると2つの重要な会合が行われた。ひとつは、フアン・オルランド・エルナンデスとのもの、もうひとつがチャポ・グスマンとのもので、このときはバジェ・バジェ・カルテルとトニー・エルナンデスも同席した。

 

 そのとき、フアン・オルランド・エルナンデスは国会議長で、アルドンはコパン県(パライソ行政区)の市長だった。フアン・オルランドはアルドンとの面会を要求し、すでにナルコとしてあまりに知られていたので、市長に再度立候補しないようにと言い、もしそれをやったら、もう密輸活動をかばわないと言った。しかしアルドンがコパン県を賄賂で資金援助するなら、フアン・エルナンデスは彼の弟のウゴ・アルドンを選挙運動コーディネーターに任命すると持ち掛けた。ウゴも麻薬密輸業者だが、表向きはまだそうとは知られていなかった。アルドンは再度の立候補はせず、麻薬密輸から得た160万ドルを賄賂として提供することにした、と証言した。

 

 同じ年のもう少しあとで、コパン県のエル・エスピルツ行政区にあるバジェ家の農園で、チャポ・グスマンと会合がもたれた、とアルドンは述べた。彼のほかに、弟のウゴ、トニー・エルナンデス、マリオ・カリクス、グアテマラ人の兄弟2人も出席した。その会合でチャポはトニーに、自分のコカインの荷がホンジュラスを安全に通過できるよう保証してほしいと頼んだ。トニーは、兄のフアン・オルランドが選挙に勝てば、チャポに保証できると返事した。チャポはバジェ・カルテルとアルドンに対しても、ホンジュラス国内で裁判にかけられたり、アメリカに移送されたりすることのないよう保護を求めた。これに対してもトニーは再び、フアン・オルランドが勝てば保証できる、と返答した。

 こうしてチャポはフアン・オルランドの選挙キャンペーンのために100万ドルを提供すると言い、アルドンによれば、トニーは「考えておく」と返事した。その3日後、トニーはアルドンに、フアン・オルランドは賄賂を受け取ることに決め、2回目の会合でチャポはトニーに個人的に金を渡した。

 

 このナルコと政治家の間の共謀が、全国的な暴力の拡大につながっていった。201111月、治安対策省の麻薬密輸対策の元アドバイザーだったアルフレド・ランダベルデは、ホンジュラスのマスコミのインタビューに答えて、当時の国家警察長官リカルド・ラミレス・デルシドは、これらの犯罪組織と政治家の関係を知っており、当局者だけでなく一般市民まで、自分の街の麻薬マフィアのボスが誰かを知っており、サンペドロ・スラ、テグシガルパ、ラ・セイバ、トコアの各市では政治家とナルコが結託している、そしてナルコたちが警察官や軍隊を買収しており、麻薬密輸マフィアの金が政治家や司法システムや民間企業にも入り込んでいる、と語った。

 ランダベルデはこのインタビューの1か月後に殺害され、この事件はいまだに解決されないままである。しかしニューヨークの裁判所では、この時期に行われた会合について彼が語ったことの証拠が次々に明らかになっていた。

 

 2012年、ホンジュラスの殺人率は世界最高値に達し、マスコミからは「世界でもっとも暴力的な国」と呼ばれるようになった。現在はその名は「麻薬マフィア国家」に取り替わったが。それに続く数年間、暴力はあらゆる地域に拡大し、大勢の未成年者が親に同行されることなく、アメリカを目指して旅立つようになった。NGO組織カサ・アリアンサの調査によると、ホンジュラスでは20002014年の間に17歳以下の子ども約3000人が殺害されている。そのような国で子どもたちは生き残るために絶望的な行動に出ているのである。

 

 子どもたちが一斉にアメリカを目指して旅し、次々に捕らえられて収容施設や裁判所に送り込まれ、すし詰めにされている一方で、トニーは公的資金を麻薬マフィアの手に引き渡していた。20142月、合衆国裁判所の記録によると、トニーはカチロス・カルテルのデビス・レオネル・リベラ・マラディアガと会合をもち、ひとつの協定を結んだ。トニーはカチロスのダミー会社に負債をもつ国の機関に圧力をかけ、リベラ・マラディアガはトニーに約5万ドルを支払うというものである。トニーが知らなかったのは、アメリカの麻薬取締局(DEA)がカチロを説得して捜査の助けになるような情報を得るために録音させていたことだった。こうして会合の内容も、さらに大金が大統領の弟に引き渡されるときの模様も録音されていた。

 

 こうしてアメリカ合衆国政府の一部ではホンジュラスの闇の部分で行われていることを捜査していたが、別の一部は、表向きの世界でエルナンデス政権が行っている政治に非常に満足していた。

 犯罪と麻薬密輸抑止のたたかいの旗印のもと、同政権はきわめて強硬な政策を取り、不法移民の流出の抑制にも力を入れた。アメリカの資金と訓練により、警察と検察のエリート部隊を創設した。汚職警察官を追放し、検察庁を強化した。

 

 リサ・クビスクは20112014年の間、在ホンジュラスの合衆国大使だった。クビスクは取材に答えて、両政府間の協力は、オバマ政権とエルナンデス政権の間で共通する利益があったことによる、自分の政府の一部がその国の大統領を捜査していることは知らなかったし、それは普通のことだと述べた。

 「私がいたころは、フアン・オルランドは、合衆国がホンジュラスに期待していたことと非常に共通する政策をとっていました。全体として、DEAが麻薬密輸にかかわっている人物らを捜査していることを知っていたかですか? 一般論的には、知っていました。その詳細まで知る必要はありますか? 全部知る必要はないでしょう」と元大使は述べた。「もしかしたら私に思い違いがあったと言われるかもしれない。しかしエルナンデス大統領に関して具体的な悪い情報がたくさんあれば、たぶん誰かが『用心しなさい』と言ってくれていたでしょう」

 クビスク元大使によると、フアン・オルランド・エルナンデスがかかわった犯罪についてもっと知ることは重要だとしても、現在行われている裁判は彼に関するものではない、という。「チャポの金を受け取ったかどうかどうかを知るための裁判ではない。それを知ることは大事だけれど」。「この裁判はトニー・エルナンデスに関するものですから」と述べた。

 

 しかし、ニューヨークの連邦裁判所では、フアン・オルランドの名前は、トニーの名前と同じくらい何度も言及されていた。

 アルドンの証言によると、2015年、彼は国民党の政治キャンペーンの担当者で、当時国営電気エネルギー会社(ENEE)の担当大臣だったロベルト・オルデニョスと会合を持った。オルデニョスはフアン・オルランドからのメッセージを伝えた。彼の弟で当時、道路建設基金の所長だったウゴ・アルドンは辞職する必要がある、彼は麻薬マフィアだとマスコミが書き立てているから、というものだった。彼の別の兄弟のアレクサンデル・アルドンの証言によると、フアン・オルランドはウゴに、多額の賄賂と引き換えにその基金の所長の役職を与えたのだった。しかしアルドン兄弟が犯罪にかかわっていることはすでに表沙汰になっていたので、兄弟らは公的な役職から完全に身を引く必要があった。

 

 アルドン兄弟の協力によりコパン県でフアン・エルナンデスのために与党が勝ち続けていれば、つまり地元市長らに賄賂を贈ってそうしていれば、大統領は彼らの麻薬密輸の仕事を保護し続けることになる、とアルドンは証言した。そのため、彼らはフアン・オルランドが権力の座を維持できるようにさらに何百万もの資金を費やした。

 その数年の間、アルドンがトニーに、自分たちがかかわっている犯罪のリスクの高さを心配していると言うたびに、トニーは絶対大丈夫だ、と保証していた。国民党が権力を握っている限り、ホンジュラスの司法に捜査されることもなくアメリカに移送されることもないと言われた、とアルドンは述べた。

 

 裁判記録が示す犯罪のリストは果てしなく続くように見える。この時期、トニーはバジェ・カルテルに武器を売ってもいた。彼らはそれをFARC(コロンビア革命ゲリラ)に送っていたという。さらに、身元を隠すために裁判では「CW-5」と呼ばれる別の人物にも武器を売っており、その人物はのちにシナロア・カルテルにその武器を売っていた。

 

 201610月、陸軍の司令官サントス・ロドリゲス・オレジャナは、トニー・エルナデンスが麻薬を密輸していたヘリコプターのひとつの写真を公表し、トニーの犯罪をおおやけに指摘した。同じ月、アメリカ麻薬取締局はエルナンデス大統領に、彼の弟を捜査していることを伝えた。そしてトニーは取り調べに応じるため、自発的にワシントンに出頭した。その時は行くことが許された。

 

 この時期ずっと、フアン・オルランドはたびたびアメリカに出張し、オバマ政権からは正式に迎え入れられ、トランプ政権からは熱烈に歓迎された。2017615日、マイク・ペンス副大統領は、貿易と経済の発展に関する会合でフアン・オルランド・エルナンデス大統領とともにほほ笑んでいる写真をツイッターに上げた。

 

 しかし、なんの権力を持たない者たちは、蔓延する暴力と汚職に苦しめられていた。201810月、ホンジュラスから最初の移民キャラバンが出発した。アメリカに向けて、難民申請をするために向かったのだ。トランプ大統領はそれを、「われわれの国への侵略」と表現し、彼らのことを「大勢のギャングたち」「中東から来た身元知れずの者たち」と呼んだ。エルナンデス政権はアメリカ合衆国のご機嫌を取るため、人々が火の車と化した国から逃げ出すのを大慌てて引き留めようとした。

 

 その一方で、アメリカ合衆国政府の別部門は、とくにある一人の男が逃げ出さないように見張っていた。

 20181122日、麻薬取締局の捜査官、サンダリオ・ゴンサレスはマイアミ行きの飛行機に乗った。トニー・エルナンデスの跡をつけていたのだ。

 翌日の朝、1123日金曜日、ゴンサレス捜査官はアメリカ連邦当局のほかの捜査官らとともにマイアミ空港にいた。ニューヨーク南部司法当局は、トニーに対して大量の麻薬と武器の密輸の罪で正式に告訴しており、身柄を拘束する必要があった。その朝、トニーはアメリカン・エアライン1347便でヒューストンからテグシガルパに向けて出発しており、マイアミで乗り換えることがわかっていた。 

 捜査官らはトニーを待って2番搭乗口の待合室Dで張り込んでいた。彼らは、トニーが仕事仲間のマルロン・パチェコ・モラレスとともに飛行機から続く連絡橋から出てくるのを見つけた。パチェコとはネブラスカまで一緒に行き、販売用のフォードのピックアップトラックを見てきて、そのあとヒューストンに知り合ったばかりのメキシコ人の家族に会いに行った、その人の名字は知らない、とその数時間後、トニーは麻薬取締局に説明している。

 捜査官らは、トニーが彼らの存在に気が付いたのがわかった。トニーがトイレに入るのが見えた。なかなか出てこなかった。ゴンサレス捜査官は彼を探しにトイレに入った。捜査官が入ってくるのを見て、トニーは出てきたが、ゴンサレス捜査官の同僚たちに囲まれた。その何人かは国境警備隊に所属する捜査官だった。国を脱出した何千人ものホンジュラス人を捕らえてきた部署である。こうして、トニー・エルナンデスは「ミグラ」(国境警備隊)に逮捕されたのだった。

 

取り調べ

 ゴンサレス捜査官らは再度トニーに尋問するためにオフィスに連行した。ゴンサレスは野球帽をかぶり、長袖の黒いシャツを着ていた。トニーもまた、アンダー・アーマーの野球帽をかぶっていたが、それを机の上に置いた。青いポロシャツを着て、薄ら笑いを浮かべていた。右の肘を机に上に付き、二の腕を袖からのぞかしていた。おそらく神経質になっていたが、平静を装っていた。早起きしたが、どうもいい日にはなりそうにないと知っている人のようなしゃがれ声でしゃべった。

 

 ゴンサレス捜査官はトニーに、麻薬密輸をどれくらい前からやっているかと尋ねた。トニーは自分はやっていない、確かに何人かそういう知人はいる、親友の何人かも残念なことに悪の道に走ったが、責めるつもりはない、と答えた。確かに、自分がその道に手を染めているという噂が流れていることは知っているが、それはナルコたちの作り話で、彼の兄の大統領が、麻薬マフィア撲滅のためにアメリカ合衆国とうまく協力していたので怒っているのだ、と述べた。

 ゴンサレス捜査官はトニー・エルナンデスに、「あるものを見せたい」と言った。彼の携帯の画面に、THというイニシャルが入った白いレンガ状のものの写真があった。それを見ても、トニーの顔つきは変わらなかった。しばらく黙っていた。

 「それはTHの文字だ」と彼は言った。

 捜査官は静かに、「ふむ、何の?」と尋ねた。トニーは微笑んで、「おそらく、トニー・エルナンデス」。「おそらく?」と捜査官は尋ねた。トニーは落ち着かなくなった。椅子の上で体を動かし、神経質な笑い声を上げた。口ごもり、それからようやく、「そんな扱いの難しいものに自分のイニシャルを入れるなど、考えられるだろうか」と尋ねた。しかし誰もその白いレンガ状のものが何であるかは言っていなかった。その些細な矛盾をゴンサレス捜査官は突いた。「しかし、これは何なのだ?」と彼に尋ねた。

 再び、トニーは口ごもり、ついに「おそらく、麻薬だ」と答えた。

 

分析

 ゴンサレス捜査官やニューヨーク南部裁判所は、ホンジュラスのフアン・オルランド・エルナンデス政権と密接に協力してきたアメリカ政府に属している。矛盾しているように思えるだろう。しかしこの両国の関係を研究する人々は、次のように分析している。

 

 アメリカ・コロンビア大学の教授でラテンアメリカ研究の組織である「グローバル・アメリカンズ」の創始者であるクリストファー・サバティーニは、これは歴史的パラドックスのひとつのようだという。「かつてアメリカの協力者で、麻薬密輸にかかわり、その後選挙で不正を行った。誰のことだと思う?」とサバティーニは質問した。エルナンデスのことではない、パナマの元将軍で独裁者のマヌエル・ノリエガである。何年もの間アメリカと同盟関係にあったが、のちに支援を失い、アメリカ合衆国に打倒された。「ノリエガ政権が倒れたのは、民主主義が拡大していた時期だったからだった。それが失敗の原因だった。しかし今は違う。民主主義はもうあまり重視されない」

 

 民主主義の後退に関する議論を呼び起こした著書がある。例えば、スティーブン・レヴィツキとダニエル・ジブラットは彼らの著書『いかに民主主義は死ぬか』において、「民主主義はもはや将軍たちによってではなく、選挙で選ばれたリーダーたちによって破たんさせられる可能性がある。大統領や首相たちが、自分たちを権力の座に導いた民主主義プロセスそのものを破壊するのだ」と述べている。このことの明確な例として示しているのが、ホンジュラスで2009年の出来事(セラヤ大統領を追放した軍事クーデター)と、さらに2017年に起きたことである。

 このとき、フアン・オルランド・エルナンデスは自分を再選させるために、共和国憲法自体を憲法違反だと宣言させたのだ。大統領は確かに選挙で不正を行った、しかし民主的な手続きを用いており、エルナンデス政権を独裁体制と呼ぶのも難しい、とサバティーニは複雑な状況を簡潔にまとめてくれた。

 

 「フアン・オルランド・エルナンデスは、『良い警察官』(※「良い警察官・悪い警察官」と呼ばれるゲーム。意図的に悪者をつくり、自分は善良なふりをして利益を得ようとする者)のふりをした。実際には違っていたが」とサバティーニは述べる。そして、アメリカの政界に残る歴史的なセリフをそのまま引用した。『やつはくそ野郎かもしれないが、われわれのくそ野郎だ』――ルーズベルト大統領がニカラグアのソモサ将軍について言った言葉である。これが、現在の合衆国政府の矛盾する方針を説明するもののひとつとなりうる。

 

 一方で、合衆国の共和党議員の間でエルナンデス政権への支持が根強く続いているのは、あらゆることをベネズエラと関連付けて見るという傾向があるがゆえである、とサバティーニは述べる。「2009年のクーデターによってセラヤ大統領が倒されたとき、共和党と、とくに保守派はホンジュラスの国民党への支援を倍増させた。物事を白と黒で色分けし、セラヤは悪者で麻薬マフィアだ、国民党は正しい、アンチ・チャベスだ、と」。「しかしアメリカ当局は、ミチェレッティ暫定大統領の就任とともに麻薬を積んだ飛行機が飛んでくるのを偵察していた。米当局はそれをすべて把握していた。しかし、チャベス派か反チャベス派かとしてしか物事を見ていなかったために、すべては無視されたのだ」。

 

 ホンジュラスでは、レティシア・サロモンがこの分析にさらに付け加えた。「今起きていることすべてがアメリカ合衆国政権と大使館にとってはある意味、非常に扱いにくい問題だ。しかし、彼らは同盟者としてふるまっており、アメリカ人はあらゆる集団と同盟を組んできた。極悪人の独裁者とも、これまでアメリカは同盟関係を結んできていた。エルナンデス大統領の演説は、うまくアドバイスされている。あらゆる抗議活動を行うものはすべて、共産主義者でベネズエラのマドゥロの味方で、彼らはいろいろと批判するが、それは自分が中米で麻薬密輸とたたかうリーダーだから批判するのだ、と言っている」。

 

 アメリカ合衆国はまさに矛盾している。政府の一部では、ホンジュラスは現在、暴力的な汚職のネットワークに支配されており、これが司法や警察といった国家機関が、麻薬密輸を強化するために利用されていると指摘している。一方、政府の別の部分では、多くの移民対策のなかで、ホンジュラス移民はアメリカ合衆国で難民とみなされず、実在する脅迫者から逃げてきたのではないと繰り返し主張しているのだ。

 

 結局、アメリカはそんな一貫性のなさはおそらく気にしないのだ。なぜなら現在のアメリカの優先事項は移民だからだ。アメリカ議会のある匿名の情報源は次のように語った。

「もしフアン・オルランド・エルナンデスが移民を足止めできれば、それこそトランプの望むところだ。つまるところ、トランプは独裁者が大好きなのだ。中米北部トライアング地域の大統領のなかで、フアン・オルランドはトランプが望むことをもっとも確実に実行できる人物だ。つまり、軍を配備して、国を出てアメリカに行こうとする人々に発砲させることができるからだ」。

 

証人たち

 1010日木曜、ニューヨーク南部裁判所で、トニー・エルナンデスは、ほかの人物がアメリカ当局者からの質問に答えるのを聞いていた。国家警察隊の元参謀副司令官のジョバニ・ロドリゲスで、すでに麻薬密輸の罪で有罪判決を受け、マンハッタンで服役していた。この日は、現在行われている裁判の証人として出頭しており、別の男、マウリシオ・エルナンデスを通してトニーと一緒に働いていたと証言した。この男は、「ロホ」ことビクトル・ウゴ・ディアス・マラレスの麻薬の密輸が安全に通行できるように保護していた。両者とも、トニーの保護のもとで密輸を行っていた、と元副司令官は証言した。

 

 (トニーの弁護士の)ラミレスが、警察の活動状況や検問について情報を得ていたので、それを仲間のナルコたちに流していた。2009年、彼はもう少しで逮捕されるところだった。麻薬を盗んだことで捕まったが、代理人となった弁護士2人が密輸マフィアの協力者で、裁判官に賄賂を払うと有罪判決は取り消された。

 「釈放されるとすぐに、またコカインの密輸を始めたのか?」と検察が尋ねた。

 「そうです」とロドリゲスは答えた。

 「どれくらいすぐに」

 「すぐさま」

 裁判所の傍聴席は満席で、中に入れない人々が多くいた。そのなかには暴力と汚職から逃れてきたホンジュラス人移民もおり、かれらは長い間、これらの真実を聞きたいと待っていたのだ。しかしホンジュラス人の大部分が就ける仕事では、裁判を傍聴するために丸1週間の休みを取ることはできない。そのため、その日の仕事が終わった後、大急ぎで来て、法廷のモニター画面のある待合室に入って裁判の行方を見守るしかない。

 

 その待合室に、1年近く前にホンジュラスを出国したという中年のエンジニアがいた。車が盗難に遭ったのが出国のきっかけだった。彼を襲撃した犯罪グループは警察とグルになっており、被害届を出すと脅迫を受けるようになり、家族全員を残して国を出るしかなくなった。元警察長官が、いかに公安当局が麻薬密輸マフィアらの言いなりになっていたか詳しく語るのを聞いて、疲れ切った表情を浮かべた。「本当にひどい状況だ」と言った。

 そこにいた移民たちのなかに、士官学校の卒業生と、甥のひとりが現在ホンジュラスの北西部ラ・モスキテス駐在の優秀な中尉であるという男性がいた。政界のエリートが麻薬マフィアのために軍を利用している様子が明らかにされ、どちらも失望し、また心配にもなった。以前から公然の秘密として知られていたことではあったが、アメリカの連邦裁判所で麻薬密輸マフィアの口から直接聞くのは別だった。中尉の甥がいるという男性は、「彼には気を付けるように、としか言えない」。できることはそれだけである。

 

 ひとりの長身でやせた少年が、毎日午後2時過ぎに来ていた。彼の仕事は自転車配達員で、早朝から働き、正午過ぎに仕事を終える。ニューヨークに住んで3年になる。サンペドロ・スラで暮らし、医学部の学生だった兄が殺害されたことで、ここに逃れてきたのだった。ある午後、彼が兄と一緒に歩いていると、強盗に襲撃された。強盗は兄のコンピューターを奪うために、兄の命まで奪ってしまったのだ。殺人事件の証人であることから、少年はすぐに逃げ出さなくてはならなくなった。いま、ニューヨークに住んでいるので、迷わず裁判を傍聴に来た。だが、これはまだ別の終わりの始まりに過ぎないと感じている。「実際に人々が望んでいるのは、フアン・オルランド・エルナンデス政権が倒れることだ」という。

 

 1011日金曜、「カチロ」ことデビス・レオネル・リベラ・マラディアガが証人として出廷した。カチロは麻薬カルテルのリーダーであったことから合衆国で服役している。法廷での証言によると、彼はトニー・エルナンデスに5万ドルの賄賂を渡し、国が自分のダミー会社への負債を支払うようにさせた。またフアン・オルランドには25000ドルの賄賂を支払った。自分のカルテルでは彼を殺害する計画などないと確約し、むしろ国内の多くの県で、下院議員や市長を通じてフアン・オルランドが大統領になれるように支援したことを思い出させた。

 「最初に私はフアン・オルランドに『やあ』と言った。『フアン・オルランド、元気か? ちょっと悪い噂が流れているので、それについて説明するために電話しているのだ』。自分たち兄弟が彼の殺害計画を立てていると触れ回っているやつらがいるので、そんなことは信じないでくれと言ったのだ」

 「その電話ではほかのことも話したか?」

 「はい」

 「何を言った?」

 「私はこう言いました。兄弟のハビエル・リベラと私は、逆に、あなたが大統領になれるように支援して、オランチートでミルトン・プエルとを、ヨロでアルナルド・ウルビナを市長に、コルテスでエコモノを、アトランティダではカルメン・リベラ・ムニョスを、コロンではオスカル・ナレラを勝たせてきた。あなたを殺害しようなどという計画を立てているなんて噂を信じないでください、と」

 法廷では静粛にするよう求められているが、傍聴席からはカチロやほかの証人たちの恥ずかしげもなく率直すぎる返答に、大きなため息が聞かれた。これはまるで、なぜこれほど多くの人々がホンジュラスを出て行かざるを得なくなり、いまこの待合室でモニターに見入ることになっているか、そのわけを物語る悲喜劇のテレビドラマか映画のようである。彼らが見つめているのは、もはやその国に住んでいないとしても、過ぎたこととすますわけにはいかない物語である。

 

 実際、話があまりにも荒唐無稽なので、多くの場面で笑いが起きた。例えば、トニーの弁護士がカチロに、「あなたのこれまでの生涯をかんがみると、あなたは公的権力を尊重する気がないようだ」と言うと、カチロは「賄賂を渡すものも受け取るものも腐敗しているのは同じですよ」と答えた。また、トニーの弁護士が麻薬密輸で得た何百万ドルもの金を何に使ったのかとたずねたときにも笑いが起きた。カチロはこう答えた。「それはもう言いました。その金は、被告人(トニー)やフアン・オルランド・エルナンデス、軍への賄賂として投資したのです。ティノコ・パチェコにも賄賂を渡しました」。この人物は、現国防大臣フリアン・パチェコ・ティノコのことである。

 

 また、アメリカ政府がテロリスト及び組織犯罪者のリストにカチロを載せたとき、どうやって自分の銀行口座から金を引き出すことができたのか、トニーの弁護士に説明したときにも笑いが起きた。これはOFACリストと呼ばれるもので、指定された銀行口座を即座に凍結するよう要求するものである。「コンティネンタル銀行の頭取が、口座が凍結されることになったと知らせてくれた」とカチロは述べた。「私は現金で引き出した。私は頭取のハイメ・ロセンタールの親友だったので、彼が現金を渡してくれた」

 しかしカチロの陳述が次々に出てくるにつれ、そのような軽い笑いはもう起こらなくなってきた。抑え切れないような「ああ」といったうめきが聞かれたり、頭を縦や横に振ったり、あるいは驚きや恐怖で沈黙するばかりとなった。

 

 カチロはニューヨークの法廷で、ホンジュラスでは大統領が麻薬マフィアとして知られる人物に何百万もの賄賂を要求していたこと、彼らの商売を保護し、逮捕されないようにすると約束していたこと、ホンジュラスという国では政治家エリートが民主的な選挙に干渉し、組織犯罪のメンバーに公的機関の役職を与えているということ、麻薬密輸を援護するために国の治安当局の部隊を使っていることを証言した。人々が苦しみ、国から逃げているさなかに。ホンジュラスはまさにいま、犯罪に支配された時代にあることを、彼は証言した。

 

201931日、裁判が始まる7か月前、DEA本部から、ワシントンを訪問したフアン・オルランド・エルナンデスの写真付きでツイートが出された。そのツイートは、DEAとホンジュラス大統領はともに麻薬密輸を撲滅させるために協力して働いており、その「継続的な関係」を祝福する、というものだった。

 

 信じられない、というコメントが無数に書き込まれた。「冗談じゃないか?」「これこそパラレル・ワールドだ」「向こうで逮捕すべきじゃないのか」――その中のひとりは次のように書いている。「DEAの典型的なやり方だ。麻薬マフィアと協力して別の麻薬マフィアを捕まえる。しかし遅かれ早かれそいつも逮捕される」。

 

 2週間目の裁判が終わったとき、裁判所の座席でサンペドロ出身の少年に会った。兄が殺され、ニューヨークに逃れてきたという少年である。彼は被告席の方に目をやって、「フアン・エルナンデスがここに連れてこられたら、またここで会いましょう」と言った。

 

 

 1018日金曜日、トニー・エルナンデスは大規模な麻薬密輸の罪で有罪判決を受けた。2020117日、その量刑が確定する予定で、合衆国の刑務所で少なくとも30年の刑になるとみられる。