「ナルコnarco」とは、スペイン語のNarcotráfico(麻薬密輸)から派生し、「麻薬密輸」や「麻薬密輸人」を指す言葉。
今日、メキシコを揺るがしているのが「対ナルコ戦争」つまり麻薬密輸組織を相手取った「戦争」である。
だがこの「戦争」は、実際には政府vs麻薬組織だけのものではない。麻薬組織vs麻薬組織の血を血で洗う戦争もあれば、警察や公務員に深く浸透した犯罪組織による汚職に対するたたかいもあり、さらに必ずしも犯罪組織とはかかわらない一般犯罪の増加という結果も招いている。
メキシコの新聞を開いてみて、麻薬密輸やそれにかかわる犯罪組織がらみの事件の報道がない日はないといっていいほど。目をそむけたくなるような残虐な殺人事件も頻発している。
2006年12月、当時のカルデロン大統領が「対麻薬密輸戦争」を宣言し、軍を各地に派遣して麻薬密輸組織の壊滅作戦を開始した。麻薬密輸組織のボスらを逮捕や殺害したことで、一時的に組織の活動を鎮静化させた。しかしすぐに組織間の抗争はそれまで以上に激化した。ボスを失った組織が細分化したり、他の組織が勢力を伸ばしてくるなどし、抗争の激化は各組織の重武装化に拍車をかけたのだった。
資金稼ぎのために恐喝や誘拐、強盗、人身売買、強制売春、みかじめ料の取り立てなど、一般市民を対象とした犯罪が増え、さらに多くの犠牲者が出るようになった。組織によっては、麻薬密輸以外からの収入の方が多いとされる組織もある。このような組織犯罪の拡大に伴う暴力の蔓延と不処罰の普遍化は、一般犯罪の増加も誘発した。
2006~18年の間の殺人被害者は25万人、行方不明者は4万人以上にのぼる。これは紛争下にある国の犠牲者にも匹敵する規模である。
メキシコにおける犯罪の不処罰率、つまり犯罪を犯しても処罰されない割合は、南北アメリカ大陸の中で最悪である。2018年の不処罰率は69.8%で、殺人事件ですら犯人が処罰される割合は17.1%に過ぎない。もっとも、この数字は、当局に届け出られた犯罪のなかでの割合である。そもそも、メキシコでは犯罪に遭っても申し立てをしない割合が93.7%と非常に高く、大部分の被害者は警察に行っても何の解決にもならない、時間の無駄だとあきらめているのが実情である。裁判にかけるにも、裁判官の数は圧倒的に足りず、警察官も必要な数の半分以下しかいない。さらにそこに犯罪組織の賄賂が入り込めば、司法が事実上機能しないことになってしまう。
殺人事件を起こしても、いくら払えば不問に帰してもらえる、などといった「相場」が公然と語られることもある。そのような地域では、住民が自警団を組織していたり、ときには犯罪者を住民がとらえ、リンチを加えるといった事件も起きている。警察に引き渡したのでは、すぐに無罪放免されてしまうからである。
メキシコ検察庁の発表によれば、2018年末時点で、メキシコ国内では9つのカルテルと呼ばれる大規模な犯罪組織が国土の大部分を分割支配し、ほかに45の中小の犯罪グループが、それぞれ大組織と関係をもったり対立したりしながら各地で勢力を持っている。そのなかで最大の支配力を示しているのが2010年に独立した「ハリスコ新世代カルテル(CJNG)」である。メキシコ中西部ハリスコ州を拠点とし、それまでメキシコ最大といわれた「シナロア・カルテル」(「太平洋カルテル」とも呼ばれる)のもとで働く武装組織であったものが分離独立し、ペーニャ・ニエト前大統領の政権下で急成長した。
メキシコは長い国境のすぐ北に、違法薬物の巨大市場を抱える。メキシコ人が運ばなくても、金持ちのアメリカ人依存者のためにいつも誰かが薬物を供給していたのである。新自由主義とグローバル化の嵐がメキシコの農村部を打ち枯らし、都市周縁部に未来への希望を見出せない人々が押し寄せる状況のなかで、今日の理不尽な暴力的状況は拡大してきた。危険を犯しても職を求めて北米に不法移民するか、あるいは犯罪グループにかかわるか――そんな選択しかない人々もいる。事情は中米諸国も同じである。国家の経済成長優先の施策は、誰に恩恵をもたらし、誰にしわ寄せを強いるものなのかを再考すべきではないだろうか。これは、メキシコだけの問題ではない。
ナルコは、必ずしも一般の人々と隔絶した、社会の「闇」の部分というわけではない。ナルコもまた、今日のメキシコ社会の一部であり、世界を席巻する新自由主義がもたらしている現象のひとつである。
■自己紹介
氏名: aqui-yo (*^o^*)v ~hola!
職業: 大学非常勤講師(スペイン語、地域研究)
専門: 文化人類学、ジェンダー、地域研究
メキシコとのかかわり: 1994~1997、2001~2002にメキシコに滞在
ナルコとのかかわり:幸いなことに(?)これまで個人的なかかわりは(あまり)ないが、ここ数年来、メキシコ・中米地域の麻薬密輸関連のマスコミ報道・書籍等を読み漁っている。
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