本名は、ホアキン・グスマン・ロエラ。メキシコで、おそらくは世界でも最強の麻薬カルテル、シナロア・カルテルのトップ。“チャポ"というあだ名は「チビ」の意味だが、幼い時に付けられた呼び名で、逮捕時の写真で見ると身長は170センチほどあるようだ(155センチという説もある)。
1957年生まれ。1993年に逮捕され刑務所に収監されていたが、2001年に脱獄。表向きは洗濯物を入れる台車のなかに隠れて出たことになっているが、実際は刑務所長はじめ当局との共謀によって、警察幹部に付き添われて正門から外に出たとみられる。
刑務所に収監中もけっして不自由な暮らしをしていたわけではなく、看守らのほとんどを買収し、パーティーをしたり恋人を持ったりと塀の中で自由に過ごし、麻薬取引も塀の外の親族を通じて継続していた。脱獄はアメリカへの身柄引き渡しを避けるためだったとみられる。
オサマ・ビン・ラディン存命中は、世界中で2番目の重要指名手配犯だったが、ビン・ラディンが殺されてのちは世界一の指名手配犯。アメリカ政府からは500万ドル、メキシコ政府からは250万ドルの懸賞金がかけられている。雑誌『フォーブス』では2009年、その資産を10億ドルと見積もり、世界富豪ランキングで701位につけた。2012年にはその数字は30億ドルにも増えている(何を根拠に資産を見積もっているのかは不明)。また同誌では、世界で権力を持つ人物のうちで、2009年は41位、2010年60位、2011年は55位としている。
シナロアのケシ栽培の盛んな農村の貧しい夫婦の6人兄弟の長男として生まれた。実際には上に3人いたが貧しさから兄たちは幼くして死んでいる。小学校は3年までしか行っていない。父親はマリワナやケシの栽培をし、収穫物を売って現金を手にしてもほとんどそれを酒で使ってしまい、妻や子どもたちをよく殴ったという。ホアキンも同じ道を歩んだ。親類のミゲル・アンヘル・フェリックスが当時警官でのちに麻薬密輸のボスとなるが、その手伝いをするようになり、徐々に出世する。若いころはカッとなりやすく、お祭り騒ぎを好んだが、のちには無口で思索的な性格に。しかし細かいことによく気がつき、人を引き付けるカリスマ的な魅力があるという。
チャポ・グスマンは古い世代のカポの一人で、親族ネットワークに支えられて権力を拡大し、出世物語を体現した人物。彼らの子どもの世代では、大学まで出て、都会的で洗練された趣味を持つようになる。
写真は、1993年の逮捕時のもの。
2007年7月、53歳のグスマンは、18歳の エマ・コロネル・アイスプロと再婚、2011年8月、妻はカリフォルニアの病院で双子の女の子を出産した。エマは地元ドゥランゴの元「コーヒーとグアバの女王」。
写真は1993年の逮捕時のもの。当時チャポ・グスマンは、「天空の支配者」と呼ばれたアマード・カリージョの組織のメンバーにすぎず、のちにこれほどの大物になるとは予想されていなかった。高級そうなダウンジャケットを着ているとはいえ、雨の中、濡れながら戸外でマスコミの前に引き出されている。